2011年 03月 11日
地震
その時間、電車に乗っていた。しかも振り子。大阪と京都のちょうどまんかなくらいだったか。
「わっ、地震。大きい。仙台大変」
というYのメールがなければ電車降りるまで何もわからなかったと思う。
実家に電話。
北海道もだいぶ揺れたとのこと。
電車の中でやろうと思っていたことは吹っ飛び、ひたすら情報収集。
山形にメールするも、もちろん返事は全然なし。それどころじゃないんだろう。
届くメールは「大丈夫か」と尋ねてくれるものばかりで、そのうちパタリとメールも届かなくなったし、こちらの返信も送信不能に。
twitterだけが稼働していて、刻々と現地の悲惨な状況が伝わってくる。
電車のドアの上に電光ニュースのボードがあるのだが、何も表示されておらず「情報がない」というのは、事実がないのと一緒なわけで、まるで日常の車内。
知っているのは様子を見る限り、自分ともうひとりしょっちゅう電話のためにデッキに出るサラリーマンくらいか。
そのうちJALからメールが来て、欠航。
調べるとその後の便はまだ飛ぶ予定で、席が一席だけある。
しかし、携帯サイトはとてつもなく重く、操作してるうちに満席に。
なんとか帰れる手段をと思うが新幹線も止まったという情報。
名古屋からのスカイマーク深夜便を一応押さえる。
そうこうするうちに遅延メールで実家から「Mは土手の上にいるのが映っている」と保育園カメラを見て貰った結果が来て、Yからも無事避難してると言う連絡があったというメールが来て、少しホッとする。
JALはまた空きが一席。
でもまた間一髪で駄目。そして次にアクセスした時には全便欠航が決定していた。無駄な努力だった。
念のため翌日も見るが、朝から見事に満席。空きがあるのは16時半以降。
とはいえ、そんな時間までもたもたしてるわけにもいくまい。
結局、最終的に当日中の移動を断念したのが18時。
駅の近くのビジネスホテルを予約。
行ってみると想像以上にひどいホテルだったが、贅沢は言ってられない。
夜中には特割1の未購入の空きがまちがいなく出るので、出来るだけ早く帰ろう。
駅で貰った号外でその想像を絶する光景をある程度知ってはいたが、テレビをつけるとこれは相当大変なことだと。
ようやく山形からは無事の知らせ。仙台の知人の安否はまだわからない。
by ohimachi
| 2011-03-11 23:59
| 大阪・関西